餃子が出てこない件
ラーメン屋で頼んだ餃子が出てこない。
と気づいたのは、ラーメンを2/3ほど食べ終わったころ。
もう少ししたら餃子は来るだろうか?もう少し待ってみようか。
一皿310円。
ここのラーメン屋は着席する前に、食券を買うスタイルだ。私たちは確かに餃子の券を購入し、店員に渡したはずだ。
ラーメンを食べ終わってしまった。
今、餃子が来ても困るのだ。なので何もなかったように帰ることもできた。
しかし、間違いなく餃子の券は渡したし、餃子が来ていないのだ。
美味しいラーメン屋さんなので、お客さんは次々と来店し行列も長くなる。
連れは、餃子を焼いている様子もないし、餃子の券がどこかに落ちたのかもしれないし、伝票には書いてないのかもしれない。でも、どこかと言われれば私たちにはわからない。310円で証明できないことに、文句をつけるのは、相手も嫌な思いをするし、こちらも今更餃子が出てきても食べられないので、ここはあきらめて、お互い気持ちよく立ち去ろうと言った。
でも、私は納得できなかった。
ケチと言われればそれまでなのだけど。
正しくないと思った。世の中正しくないことはいくらでもあるけど。
自分が正しいのに、なぜ私がそこで我慢をせねばならないのか?
そりゃ、310円だけど。しかも、連れのおごりだし。お腹がいっぱいだけど。納得できないことを連れに伝えても、むしろ残念そうな目でで見られるのはなぜなのか?
私はこらえ性がない人間なのか?なぜ310円の餃子がこんなに私の自尊心をかき乱すのか?
結局我慢できずに、近くの店員と目が合ったっ時に伝えてしまった。
「お忙しいところ申し訳ないんですけど、餃子を頼んだはずが来てません。まだ時間がかかるようでしたら、キャンセルしてください。」
連れに小さい人間だと思われ、店員にも「そうだったかなぁ」という顔をされ、310円返金してもらった。最後に連れに「310円返ってきて、よかったね」と言われ、やはり言わなければよかったと後悔した。
店員が食券を確認したときに、こちらも気を付けていればよかった。
私はこの自分が損しているという状態や、攻撃されていると感じると、過剰に反応してしまい、目先のことしが見えないことが多く、感情を爆発させることはないが、どうにも堪えられないところがある。
自分が正しくないと判断してしまうと、周りが「ことなかれ」で済ませようとしているのに、強く反発し「間違っている」と口に出してしまうのだ。
きっと、大人げないのだろう。ありのままで生きてはいけないのだ。たとえ正しいことを口にしても、自分だけが納得する形では、誰も楽しくない。
最近仕事でも「口を出さなければよかった」と思うこともあり、少し反省している。
自分の感情が揺れて、納得できないことほど一度距離をとって対局を見回して、口にするかどうか判断すること。なかなか難しいけど、少しづつでいいからできるようになりたい。
まずは、先に食券を買うスタイルのお店は気を付けようと思った。