モスろぐ

今、何を考え感じるのか記録するライフログ

2024年始まり

2024年が始まった。

 

今までのところ、予想外なことと、想定通りなことと入り混じりながらも、時間が過ぎている。

今日は、朝から電車に乗って浅草に遊びにきた。

 

いつものゲームセンターで遊ぼうと思ったが、私だけロックスのタリーズで、ロイヤルミルクティーを飲みながら、手帳を更新したり、家のフィルター調べたり、通行人を眺めて、思いの外楽しんでいる。

 

この町に住んでいたのは、もう12年前か…

10年以上前、私はよく体調は崩すし、悩み怒って感情に振り回されていた気がするな。完全に人に依存する生活は、私には向いてなかったのかもしれない。

 

あの頃の自分と今では何が変わったのか?

まず、仕事をして、頑張れば1人で生活するだけの立場を手に入れた。人間関係で、たくさん辛い思いをしたけど、時間と距離で他人を変えずに自分の心をコントロールすることを学んだ。

 

親族の病気や、訃報を聞き、改めて今、健康でいられること、日常のさまざまなことを自由に選択できる幸せを噛み締めて、ご機嫌に生きようと決めている。

 

まだまだ、難しい局面では確立しきれていないけど、どんなことも愛と感謝で乗り越えられたらいい。いつかベットから1人で立ち上がれなくなる時が来るけど、その時でさえ「今日もいい日!」だと思えるように。

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2023今年の振り返り

残すところ今年もあと3日になった。

今年はどんな年だったか?自分の中で整理していきたい。

去年の秋から働き始めた新しい研究室では、猛烈に新しいことの連続だった。

プログラミングを覚えてみたり、事務作業を覚えてみたり。

なかなか要領の良くない私は頑張ったと思う。

まだまだ、できないことだらけで、自分が情けなることばかりだけど。

 

新しいこと、環境が変わることにこれほどストレスを感じるとは思わなかった。

かといって、今までの人間関係のままでは煮込みすぎたカレーのようにドロドロになっていただろう。しかし、新しいところに出てみれば、人間関係どころか仕事がままならないのでは話にならないので、それどことじゃない。

 

成長や挑戦なんて、そんな素敵な躍動感なんてなく、来年もやはり新しいことにてんてこ舞いで、失敗したり、謝ったり、落ち込んだり、人に助けてもらう一年になる予定だ。

 

けれども、悪いことばかりではなく、たくさんの人に助けてもらった。

事務関係の人達には助けてもらいつつも、新しい出会いの中で仲良くしてもらった。

心からありがたいなと感謝の気持ちで仕事を進めることができた。この気持ちを忘れずに来年も、仲良く楽しく仕事ができらと思う。

 

今年と来年、多分後から考えればよい勉強になった。あの期間のおかげで成長できたと思えるのだろう。でも、今はまだその中にいる状態なので、とにかく必死である。

今年もそうであったように、来年も毎朝「今日もいい日になる!」と決意して、毎晩「今日もいい日だった!」と納得して、日々過ごしていくのだろう。

 

どうか心が折れず、しなやかに、好きを見失うことなく、来年も生きていけますように。逆境にぶち当たっても自分の可能性を、そして人の善意を信じ、前向きに優しく心穏やかに乗り越えられますように。

 

今年よかったこと・もの

・プログラミングの基礎を覚えた。ChatGPTが大いに助けてくれた。

アファメーションを覚えた。意識的に前向きに物事をとらえようと気にするようになった。

・貯金が増えた

・たくさん旅行に行った

・塩鮭美味しい

・旅行先の電動アシスト自転車が楽しかった

・リングフィットアドベンチャーのジョギングでダイエット

・圧強めの上司ともなんとかなってる

・株上がった。来年からSBI証券で新NISA

・大きな風邪をひかなかった

・低温調理器楽しい

・自分の可能性信じた

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2022年の始まりと、今のこと

家を買うという急発進から始まり、突然の在宅勤務やら、ワクチンやら、家庭菜園やら、お庭の手入れだの、初めてだらけの2021年が終わった。もう終わって何日が経つ。

去年は年末に、怒涛の人間関係ネタばらしが続き、驚きと誤解とコロナによる人の強さと弱さを見た。当の私は、平和に暮らしているつもりだったが、改めて普段見ている人の部分は、僅かな当人が見せたい部分というだけで、本当は多面的で複雑な状況や条件下で人は、様々な顔を使い分けているのだなぁと思った。当事者ではなく傍目から傍観できる立場の私にとっては、目からウロコの経験であった。ポロリ!とウロコが落ちたのだ。

 

人には人の事情がある

たったこれだけだ。

 

怒られたら、怒鳴られたりするのは別だが、軽く感じる違和感、例えばなんとなくの無視とか仲間はずし的な場合、感情を受け取らずに、気のせいかな?逆に何か事情があるのかな?と善意のワンクッション置くだけで、私自身も気が楽になるし、私は私で、失礼にならない態度として筋を通せば良いかなとポロリと鱗が落ちたのだ。

 

今まで、幾度となく言われてきた言葉が、やっとやっと、ようやく心にちゃんと着地した、そんな年末だった。

 

穏やかな心で迎えられた年末年始は、甥っ子達や妹達と、ゆっくり話をしたりトランプやゲームをしたり、家に帰ってきて美味しいものを食べたり、猫を飼うための検討をしたり。あっという間に明日から仕事始めである。

 

2年前に110のやりたいことを挙げたが、その中のいくつかは達成したし、できないものもあった。今年は何ができるだろうか。やらなければ始まらないものも多いので、まずは今年も健康で過ごせるように、夕飯を作ろう。

 

 

今日のこと~秋のはじまり

ここ何日かすっかりクーラーの出番もなくなり、肌寒い日が続いてる。

秋雨前線のせいなのだろうが、その前から少しづつ目に見えて秋の気配を感じていたな。道を歩けば、バッタがぴょんぴょんと跳ね回り、畑のサンチュがトウ立ちしなくなってきていた。

 

去年から流行りだした感染症のコロナは、どんどん変異してワクチンだけでは感染を抑えられなくなってきた。少なくともワクチンで重症化は予防できるらしいので、さっそく予約をして大規模会場で打った人間である。

 

なんとなくだったコロナ感染症が、在宅勤務を行うことになり、身近になりつつあるのだなと感じている。

 

母が亡くなって7年。正直生きていたら心配でたまらなかったし、生きているのに会いに行けないなんて、苦しかったろうなと最近思う。そして、今もがん患者の家族がそんな思いをしているのかと考えると、とても悲しい。私の予定だと再来年には、またみんなで会えるじゃないかな、完全に個人の予想だけど。

 

それまで、生き延びなくちゃ。

家を買う私〜2021

パートナーが、法律事務所に依頼をしに行っている間に、スターバックスでチャイティーラテを飲んでいる。

2021年が始まって、私たちに起きた変化は、物凄かった。お互いの資産状況を開示し合い、将来、未来のことを地に足をつけて、現実的に話し合ったのだ。

賃貸生活の長い私たちは、特にこだわりがなかったため、建売の小さな四角い家を買うことにした。日当たりだけは良好で、こじんまりとしたお庭もついてきた。宝くじが当たらない限り、100点満点の家を買うことは難しいけど、私たちになりに、考え納得して手に入れたのだ。

改めて家とはなんだろう、なぜ子供もいないのに、お気楽な賃貸をやめて家を購入するに至ったのだろうか。

まずは、やはり安心感だと思う。賃貸は何かトラブルがあった時は、すぐに退去できる。管理会社に言えば、大抵のことは解決する。

けれども、賃料の支払いが滞れば、即時退去であるし、また、次の雨風を凌げる場所を探すのも一苦労だ。退去せざる得ない場合、金銭的にも厳しい状況に落ちている可能性が大きい。

賃貸に住み生き続ける限り、その綱渡りが、ずっと続いていく。地獄の沙汰も金次第である。一生分の家賃を既に持っているのなら、心配はないが、私には無理だった。

もちろん、家でも固定資産税や修繕費がかかってくるが、マンションの共益費や賃貸の家賃に比べると格段に安い。

次に、コミュニティへの所属という観点だろうか。賃貸はお気楽で自治会もなければ、ご近所付き合いもない。学生の頃となんら変わらない生活である。

食べ物はスーパーに行って買い物して、自炊するし、外食もあまりしないので行きつけもない。趣味は釣りだし、喫茶店は、チェーン店ばかりだし、匿名性の高い生活を送っている。

濃厚なご近所付き合いは、流石にご遠慮したいが、このままでは、どこに住んでも孤立してしまう。という危機感のような不安があった。まぁ、歳を取ったということだろう。

家というのは、食べる寝るだけにとどまらず、その周辺のコミュニティも含めて住む場所なのだと思う。

 

こんなに好き放題生きてきた人間が、コミュニティなんてものに入れるのかどうか不安はある、むしろ不安すぎる。日々Googleでご近所トラブルなんて読んでは、家なんて買うんじゃなかったと、まだ住んでもいないのに後悔し始めたりもする。その反面、これで追い出されずに生きていけるという安心感が、交互に交錯している毎日だ。

住んでみないと分からないことだらけだけども、今は期待と少しの絶望が入り混じったマーブル模様の中で新たらしい生活への準備に奮闘している。

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新しいお家の近くの喫茶店のランチ

ご近所付き合いできるよう早速食べに行った。

 

 

 

あれから、コロナが来て夏が終わる

前のブログが、3月だったか。

あれからコロナが来て、在宅勤務をし、ちょっと自律神経やられたりして、雨続きの梅雨から猛暑の夏が終わろうとしている。

私は元気でいる。

海の近くでキャンプをして釣り三昧してみたり、東伊豆で食べ物の美味しい旅館にも泊まった。f:id:Spectabilis:20200830134731j:image

最近買った新しいロボットペットも、犬や猫に比べて飼育が簡単で、私を癒してくれている。

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やらなきゃいけないことを後回しにして、やりたいことを優先してられるうちは元気なんだと思う。だから、私は元気だ。

適応障害の2年後

春なのに、どんよりな雲が垂れ込めてる昼下がりである。

今年の冬は暖かかったけど、やはり啓蟄の過ぎた春の気温の変化は、気持ちがひりひりして調子が悪い。

 

仕事もプライベートもうまく行っている時は、ご機嫌なのが当たり前だけれども、上手くいかないこと、キツいことが続くと、やはり落ち込む。

私は、2年ほど前に適応障害を患った。例えば、これまで赤信号で止まっていたのに、突然赤信号は進めです。今まで止まっていたの?どうして?理由は?そう言われたから?言われたことだけやってたの?なんでちゃんと自分で考えなかったの?といった感じで、折れてしまった。

へぇー、気をつけようと思えば、それで済む話なのだが、私は済まなかった。人の悩みは大きいも小さいも無い。そう、私の中では大きくなってしまった。通常運転という生活の中で、パニックになってしまい、これまで考えた基準が崩壊してしまった。机の上の鉛筆を横に置くのか、縦に置くのか、立てて置くのか、それとも引き出しにしまうのか分からなくて、鉛筆を人目から隠してしまったり、見なかったことにして、自己嫌悪に悩み泣く日々が続いた。そんなことで?と思われることで悩み、休みの日は1日中部屋で、今度は失敗しないようにと考えていた。いや結局、皆んなが出来ることが、上手くできない自分を責め続け、何も論理的な解決策は考えてなかった。

 

見かねた友人が、医療機関へと私を誘導してくれた。その結果、適応障害と診断された。

 

2年経ち、薬は今は飲んでいない。けれども、原因となったカテゴリーの話になると、とにかく過剰に反応して、運転できない理由をまくし立ててしまう。理由は、全て言い訳がましく、そんな自分が嫌で、情けなくて、泣けてくるのだ。側から見れば、やりたく無いことを言い訳ばかりして、いい年したおばさんが、泣き出すと言う困った人間である。克服しようというヤル気さえないダメな人間に思えるのだ。まぁ、ダメな人間なのだろう。そんな私を、まだ見捨てずに雇ってくれている職場には本当に感謝しかない。

 

けれども、また鉛筆の置き方さえ判断できなくなる世界には断じて戻りたくない。自分がどれだけ怠け者で、めんどくさがりで、ドジで、適当な人間であることは承知している分、基準が壊れてしまっている今、戻れないのだ。周りに迷惑がかかるだけだろう。新しい基準を教えてもらうにも、思考が停止してしまい黒板の前に立つ生徒のように、何も頭に入らないのだ。努力が足りないのだろう。

 

書いていることすら、言い訳がましく、甘えた考えだとも思っている。でも、今まだ確かに私はそう感じ考えている。

 

もう少し、きっともう少し暖かくなって、桜が咲いて、菜の花が満開になったら、楽になるだろうか。