モスろぐ

今、何を考え感じるのか記録するライフログ

家を買う私〜2021

パートナーが、法律事務所に依頼をしに行っている間に、スターバックスでチャイティーラテを飲んでいる。

2021年が始まって、私たちに起きた変化は、物凄かった。お互いの資産状況を開示し合い、将来、未来のことを地に足をつけて、現実的に話し合ったのだ。

賃貸生活の長い私たちは、特にこだわりがなかったため、建売の小さな四角い家を買うことにした。日当たりだけは良好で、こじんまりとしたお庭もついてきた。宝くじが当たらない限り、100点満点の家を買うことは難しいけど、私たちになりに、考え納得して手に入れたのだ。

改めて家とはなんだろう、なぜ子供もいないのに、お気楽な賃貸をやめて家を購入するに至ったのだろうか。

まずは、やはり安心感だと思う。賃貸は何かトラブルがあった時は、すぐに退去できる。管理会社に言えば、大抵のことは解決する。

けれども、賃料の支払いが滞れば、即時退去であるし、また、次の雨風を凌げる場所を探すのも一苦労だ。退去せざる得ない場合、金銭的にも厳しい状況に落ちている可能性が大きい。

賃貸に住み生き続ける限り、その綱渡りが、ずっと続いていく。地獄の沙汰も金次第である。一生分の家賃を既に持っているのなら、心配はないが、私には無理だった。

もちろん、家でも固定資産税や修繕費がかかってくるが、マンションの共益費や賃貸の家賃に比べると格段に安い。

次に、コミュニティへの所属という観点だろうか。賃貸はお気楽で自治会もなければ、ご近所付き合いもない。学生の頃となんら変わらない生活である。

食べ物はスーパーに行って買い物して、自炊するし、外食もあまりしないので行きつけもない。趣味は釣りだし、喫茶店は、チェーン店ばかりだし、匿名性の高い生活を送っている。

濃厚なご近所付き合いは、流石にご遠慮したいが、このままでは、どこに住んでも孤立してしまう。という危機感のような不安があった。まぁ、歳を取ったということだろう。

家というのは、食べる寝るだけにとどまらず、その周辺のコミュニティも含めて住む場所なのだと思う。

 

こんなに好き放題生きてきた人間が、コミュニティなんてものに入れるのかどうか不安はある、むしろ不安すぎる。日々Googleでご近所トラブルなんて読んでは、家なんて買うんじゃなかったと、まだ住んでもいないのに後悔し始めたりもする。その反面、これで追い出されずに生きていけるという安心感が、交互に交錯している毎日だ。

住んでみないと分からないことだらけだけども、今は期待と少しの絶望が入り混じったマーブル模様の中で新たらしい生活への準備に奮闘している。

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新しいお家の近くの喫茶店のランチ

ご近所付き合いできるよう早速食べに行った。