モスろぐ

今、何を考え感じるのか記録するライフログ

適応障害の2年後

春なのに、どんよりな雲が垂れ込めてる昼下がりである。

今年の冬は暖かかったけど、やはり啓蟄の過ぎた春の気温の変化は、気持ちがひりひりして調子が悪い。

 

仕事もプライベートもうまく行っている時は、ご機嫌なのが当たり前だけれども、上手くいかないこと、キツいことが続くと、やはり落ち込む。

私は、2年ほど前に適応障害を患った。例えば、これまで赤信号で止まっていたのに、突然赤信号は進めです。今まで止まっていたの?どうして?理由は?そう言われたから?言われたことだけやってたの?なんでちゃんと自分で考えなかったの?といった感じで、折れてしまった。

へぇー、気をつけようと思えば、それで済む話なのだが、私は済まなかった。人の悩みは大きいも小さいも無い。そう、私の中では大きくなってしまった。通常運転という生活の中で、パニックになってしまい、これまで考えた基準が崩壊してしまった。机の上の鉛筆を横に置くのか、縦に置くのか、立てて置くのか、それとも引き出しにしまうのか分からなくて、鉛筆を人目から隠してしまったり、見なかったことにして、自己嫌悪に悩み泣く日々が続いた。そんなことで?と思われることで悩み、休みの日は1日中部屋で、今度は失敗しないようにと考えていた。いや結局、皆んなが出来ることが、上手くできない自分を責め続け、何も論理的な解決策は考えてなかった。

 

見かねた友人が、医療機関へと私を誘導してくれた。その結果、適応障害と診断された。

 

2年経ち、薬は今は飲んでいない。けれども、原因となったカテゴリーの話になると、とにかく過剰に反応して、運転できない理由をまくし立ててしまう。理由は、全て言い訳がましく、そんな自分が嫌で、情けなくて、泣けてくるのだ。側から見れば、やりたく無いことを言い訳ばかりして、いい年したおばさんが、泣き出すと言う困った人間である。克服しようというヤル気さえないダメな人間に思えるのだ。まぁ、ダメな人間なのだろう。そんな私を、まだ見捨てずに雇ってくれている職場には本当に感謝しかない。

 

けれども、また鉛筆の置き方さえ判断できなくなる世界には断じて戻りたくない。自分がどれだけ怠け者で、めんどくさがりで、ドジで、適当な人間であることは承知している分、基準が壊れてしまっている今、戻れないのだ。周りに迷惑がかかるだけだろう。新しい基準を教えてもらうにも、思考が停止してしまい黒板の前に立つ生徒のように、何も頭に入らないのだ。努力が足りないのだろう。

 

書いていることすら、言い訳がましく、甘えた考えだとも思っている。でも、今まだ確かに私はそう感じ考えている。

 

もう少し、きっともう少し暖かくなって、桜が咲いて、菜の花が満開になったら、楽になるだろうか。