今日のこと〜料理がめんどい私
生きることは「食べること」だ。
「食べること」は奥歯で命を噛み砕き、自分の細胞分裂を維持する尊いことなのだ。
しかしだ、この尊い食べるための料理が面倒くさいのだ。心が迷子になってしまう。
買い物に行けば色とりどりの野菜や肉や魚が売っており、毎日毎日何を食べたいか自問自答する。お財布の中身と、自分の欲望と少し気にする栄養価とのせめぎ合いが、攻防を繰り返しているうちに疲弊し、お惣菜コーナーで虚ろに立ち尽くすのである。
選択肢が多すぎると、本当に自分が欲しいものが分からなくなるなんて、よく聞く話だけれども、料理に関しては、毎日毎日終わることのない波のように押しては返す選択肢の多さに辟易してしまう。
ついでに今日買った柔軟剤もしかりである。
けれども、私は今日も食べねば生きていけない。どんな尊い拷問だよと思うこともあるけれど、せめて1日頑張った夜の自分を労わるためにも、夕方の自分には頑張ってもらいたい。
ふと思う、生きると言うことは、食べることというよりも、もかしたら、面倒くさいことの繰り返しをひたすら続けることなのだろう。料理は食べられるからまだマシなのかもしれない。
今日のお夕飯