父の永眠〜人の死に方〜2013年8月23日のブログから
私の父は今年の3月に亡くなった。
ちなみに父もガンである。
咽頭癌から始まり、大腸ガン、最後は白血病で手の施しようがない状態で逝ってしまった。その2週間前に余命宣告が家族にあり、もってゴールデンウィークまでと聞いていた。なので、その週末は少し早いが、みんなで桜を見に行こうと計画をしていた。
父の最後が印象的だったので記しておこうと思う。
私は今まで人が死ぬ時をテレビでしか見たことがなく「今までありがとう…」ガクっ。という感じでほとんどの人が直前まで話をして、カチッと意識が切れるのかと考えていた。しかし、父の場合まったく違った。
父はまるで夜の帳がゆっくり降りて行くように意識の狭間を行ったり来たりして、亡くなった。
ただ、危篤になったのは突然だった。一年程入院して同じ生活を送っていたのに唐突に体が死へ向かう準備をカチッと入れた…そんな感じだった。
白血病と診断されて、たった2週間でその時は訪れたのだ。
最後の瞬間は、私にとって驚くものだった。死とは生きている人にとって、強烈な痛みや苦しみを伴うものだと思ってたから。
私が病室に到着したときは、既に意識が朦朧とし、顎で呼吸をしていた。
「お父さんなんで顎動かして呼吸してるの?」
肺の機能が低下して、体が酸素を取り込めず、死ぬ直前はみんな顎を動かして呼吸するとのこと。また、右腕が肩から指先にかけてとても、むくんでいた。青白くなってしまった手を握ると、まだ暖かかったが、爪の色が青赤紫色になっていた。
しばらく、ただただ顎を動かし呼吸をつつけていた父が、夕暮れ時になると、突然心拍を下げ始めた。一斉に父につながれている機械が異常音を鳴らす。妹達が病室へ到着しておらず、医者の指示でとにかく父の名前を呼び、揺すり続けた。すると、父はとても嫌そうな顔をした。まるで、眠いところを起こされたみたいな顔だった。
揺するのを止めると、また静かな顔で眠るように心拍数を下げていく。
平凡な言い方だけど、本当に眠るように逝くのだと改めて知った。そこには既に痛みはなく、とにかく眠くて仕方がなかったのだろう。
結局、どんどん大きくなっていく機械音に反して、顎の動きが小さくなってゆき、父は亡くなってしまった。時々打つ脈が機械音で分かるが、その間隔はもう駄目だと自覚するには十分だった。
おかしな話で、父の最後を看取ってから、あまり死が怖くなくなった。あんなにも静かに眠れるのなら、私もいつか眠るように意識の狭間を行ったり来たり逝きたい。